<説教要旨>

「キリストにある交わり」(9/5)

「これらの小さな者が一人でも滅びることはあなたがたの天の父の御心ではない。」

(マタイ福音書18章14節)

 「  小さな羊が  家を離れ、
   ある日遠くへ 遊びに行き、
   花咲く野原の おもしろさに
   帰る道さえ  忘れました  」
 上記の歌詞は「子ども讃美歌72番」(讃美歌21-200番)の「迷い出た羊の譬物語」(ルカ福音書では「見失った羊の譬物語」)を題材に作られた讃美歌です。懐かしさを覚えます。作詞は英国のアルバート・ミッドレーン。19世紀中頃の作品です。日本では1920年代より日曜学校で歌われるようになり、1950年の「日曜学校讃美歌」復刻版で堀内敬三の名訳で収録されています。
 羊は山羊と並んで、イエスの時代のパレスチナ地方では最も身近な家畜です。聖書では羊は弱く愚かな動物として捉えられており、旧約聖書の時代から羊飼いは神であり、イスラエルの民と神との関係を表現するものでした。詩編23篇・119篇176節、エレミヤ書23章3~4節、イザヤ書40章11節など参照ください。
 本日の聖書個所は、「迷い出た羊の譬物語」(10~14節)を含んで、教会生活について、イエスが説教する個所です。次いで「兄弟の忠告」(15~20節)に関するイエスの言葉があり、その後に「仲間を赦さない家来の譬物語」(21~35節)と続いています。18章全体のテーマは「小さき者」の一人を軽んじることなく、一人を大事にした教会共同体を形成するようにとのメッセージとなっています。
 「小さき者」とはギリシア語で「エラヒストス」が用いられいますが、この語をマタイ福音書の著者は好んで用いています。マタイ福音書25章40節の「最後の審判の譬物語」の結語にも用いられています。「小さき者」は共同体の中で配慮や助けを必要とする人々の総称として表現されています。同時に、一人の価値を強く意識した言葉となっています。
 良き羊飼いは一匹の迷い出た羊を見つけるために99匹を山に残して捜しに行きます。ルカ福音書の並行記事のように、見つけ出す羊飼いの喜びや罪人の悔い改めに主眼があるのではなく、「小さき者」を探し求める努力にあるような思えます。続く「兄弟の忠告」(懲戒の規定)の勧告は、処分の手続きを強調するのではなく、「小さき者」を失わないための努力が示されているようです。
 私たちの周りには「最大多数の最大幸福」という近代の合理主義的な考え方が厳然としてあります。そこには、「小さき者」の一人という考え方が欠落しています。良き羊飼いであるイエスの愛の深さを覚えていきたいと思います。

(説教要旨/菅根記)