神戸教会の主日礼拝

毎日曜日 午前10時15分より

神戸教会の主日礼拝には、信徒・求道者・学生など毎週約130名の方が出席しています。ゴシック調の築84年の会堂にて、パイプオルガンの音色と讃美の声が響き、聖書の言葉に心を向け、牧者の説教が行われます。どなたでもどうぞお気軽に礼拝にご参加ください。

DSCF3576.JPG神戸教会の主日礼拝の様子               

<礼拝案内>

主日礼拝
2019年6月23日(日) 午前10時15分より
【聖霊降臨節第3主日

説 教 
「価なき者への福音
菅根信彦牧師

聖 書:ローマの信徒への手紙7章13~25節
讃美歌:21-353、Ⅰ-249








「価なき者への福音」(6/23)

「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」
                               (ローマの信徒への手紙7章24節)
 ローマの信徒への手紙は、パウロの第三伝道旅行の途上、紀元56年頃にコリント滞在中に執筆されたと言われています。パウロは未踏のローマに赴き、さらにイスパニア(スペイン)伝道を志しつつ、ローマの教会へ自己の福音理解を包括的に述べようと試みます。本日の聖書の個所は、この手紙の主題である「神の義の福音」(1章16〜17節)を受けて、神と人間の義なる関係について論じている個所です。特に、自分の心の中に渦巻く「内在する罪」の問題を取り上げています。
 パウロはダマスコ途上でキリスト・イエスとの出会いを通して回心の経験をして伝道者として神に捉えられていきます。その後、彼は常に神の前における自分という存在を見つめる人となっていきます。本日の7章7節以降で「律法のもとにおける人間の矛盾」について語っています。パウロは自分の中、つまり肉なるわたしには「善は住んでいないことを知っている」と告白しつつ、「善をなそうとする意志はありますが、それを実行できない」(18節)と矛盾した存在であることを語ります。さらに、「自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(19節)と「罪」の中に喘いでいる苦悩を語ります。
 パウロの指摘する内在する「罪」というのは、「的を外す」「目標を外した」との意味で用いられる言葉です。神のみ旨に添えない、正しく神と向き合うことができない状態を指して「罪」と言っています。さらに、「罪が支払う報酬は死です」(6章23節)とも指摘し、罪からの解放を願っています。パウロは熱心なファリサイ派として生きてきた自分を回顧しながら、心では「神の律法」に仕えてきたけれども、肉では「罪の法則」の中で仕えていたことを正直に伝えます。神の前において自分の内部が全く分裂している状態を説明しています。「わたしはなんと惨めな人間なのでしょう」との言葉は心を打たれます。
 しかし、パウロは律法のもとで呻く中で、本当の自分を取り戻していくべき福音を語ります。「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を支援されました」(5章8節)とあるように、死すべきこの体を救ってくださる方こそ、キリスト・イエスであることを語ります。パウロは「主イエスの十字架の死によって贖われたことを神に感謝します。私たちも神の前での自分を見つめ自己の矛盾を意識しつつ、主イエスの十字架の赦しの業に身を委ねていきたいと思います。(説教要旨/菅根)