神戸教会の主日礼拝

毎日曜日 午前10時15分より

神戸教会の主日礼拝には、信徒・求道者・学生など毎週約140名の方が出席しています。ゴシック調の築84年の会堂にて、パイプオルガンの音色と讃美の声が響き、聖書の言葉に心を向け、牧者の説教が行われます。どなたでもどうぞお気軽に礼拝にご参加ください。

DSCF3576.JPG神戸教会の主日礼拝の様子               

<礼拝案内>

主日礼拝
2019年2月24日(日) 午前10時15分より
【降誕節第9主日
【宣教を考える会】

説 教 
「『終活』の向こう側」
関谷直人氏
(同志社大学神学部教授)
聖 書:ルカによる福音書12章16~20節
讃美歌:21-402、21-502








「真実を聞く者」(2/17)

「ほかの種は良い土地に落ち、生え出て、百倍の実を結んだ。」                             (ルカによる福音書8章8節)
 今回お読みした聖書箇所ルカによる福音書8章4-15節はイエスの譬え話が語られる箇所であって「種を蒔く人」の譬えが描かれています。またこの箇所は、一度語られたたとえ話(4-8節)をもう一度繰り返す形で説明(11-15節)される珍しい箇所となっています。このたとえ話の中心は「種蒔き」であってこの種を一人ひとりの信仰芽として捉えています。
 当時の畑で行われる種蒔きとは、一つひとつの穴に種を入れて土をかぶせる物ではなく、広大な畑に種をばらまく形で種蒔きを行なっていたと考えられています。それこそ、農夫がある特定の場所に種を蒔くのではなく、畑全体に種を散らす形で蒔いているために、堅い地面や岩の上、そして茨の中にも種が落ちてしまう事があったと考えられています。
 それをイエスは、人々の「信仰の芽」としてたとえ、豊かな土地に蒔かれる種が良い芽を出すように信仰も豊かな土地に芽を出さなければすぐに枯れてしまうことをイエスは語るのでした。このたとえ話について神学者のA.Mハンターは「イエスの譬えの意味」という著書の中で、「イエスは『あらゆる危険と損失にもかかわらず、農夫は素晴らしい収穫を刈り取る。あらゆる挫折と失敗にもかかわらず、たとえそうであっても、神の支配は前進し、神の収穫は期待を越える』」と語っています。これは、元来この箇所の聖書的意味は、弟子達に対してイエスは「何事にも絶対に失望せず、神を信じること」を促している箇所であると言われています。それこそ、人の信仰は、はじめから豊かな土地に種が蒔かれるということは可能性として低い。信仰とは、辛い歴史と過去を重ねて形成される物であって、人はその犯した失敗を抱き続けるのではなく、その失敗の連続を通して初めて生れる「信仰の芽生え」という大きな収穫を得ていくことを喜びとして持つことが重要と語っているのです。そもそも、人間という存在は、硬い地面や岩だらけの場所、茨の中に自分自身を置いている存在です。しかし、失敗の連続の状況に身を置きながらも私たちは生きていく。それを神は見ておられいつか人が豊かな土地に信仰を植えることが出来る約束が与えられることをこの箇所を通して語っているのです。
 確かに現代において私たちの生きる世界全てが良いものではないかもしれません。それこそ、今ある世界こそが硬い岩ばかりで茨の中のような世の中なのかもしれません。しかし、そのような厳しい状況だからこそ人は神を信じイエスに仕える信仰を強く持つ。そして、救いに与かる存在として私たちはいつまでも信仰を追い求めて行きたいのです。
(本日説教要旨/井上記)