<説教要旨>
「希望をもっている」(8/22)
「わたしたちは見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。」
(ローマ書8章25節)
ローマの信徒への手紙が届けられたローマの共同体はパウロ自身がその創設に関わった共同体ではなく、ローマ内で、またローマの外から集まった、キリストの福音を信じた人々の集まりでした。この共同体についてパウロは人づてに聞き、いつかローマを訪れる際には、訪問する約束をしておりました。このローマ書もそのための準備段階として、自己紹介的にパウロの福音理解が体系的にまとめられ、主に中心テーマである「神の義」と「信仰による義認」、「救済観」についてが語られている書簡です。このような背景からパウロとの直接的な関わりのあった共同体とやり取りが行われた書簡とは違い、その共同体の具体的な状況などについては触れられず、ある種の神学書のようにその議論は展開されていきます。
またこの書簡は、パウロの伝道活動の晩年頃、具体的にはエルサレムへの最後の訪問と逮捕の少し前に記されたものであると言われています。このことからも、この書簡にはパウロのこれまでの伝道活動における経験や知識が込められていると言えます。パウロ自身その活動において何度も捕縛され、鞭打たれ、時には命からがら逃げ出し、船で難破し、何度も命の危険を感じる経験をしております。当時のキリスト者も多くはそのような困難な中にありながら福音を信じ、祈る共同体を形成していたのです。
本日の箇所ローマ書8章18節からの箇所もその冒頭に「現在の苦しみ」との言葉からはじめられております。これは先に述べたようなキリスト者として生きることの現実的な迫害の恐れや困難と、更には、神の前に正しく生きることの出来ない、間違いをくり返してしまうその弱さにとらわれた「肉の存在」であることを示しております。この二つの側面において、パウロはこの世で生きることの困難や「肉」にとらわれているが故の弱さを21節で被造物の「滅びへの隷属」という現実の示しつつ語ります。この「滅び」とは「フソラス」とのギリシア語が用いられ、「永遠ではない、朽ちるもの」との意味があります。
本来ならば「肉なる存在」である私たちは「滅びへの隷属」にある状態であるが、しかし将来においてはそれらの困難が「取るに足らない」「比べるべくもない」ものとなるような「栄光」が現されるとの励ましが語られていきます。そして20節の最後に「希望を持っています」と力強く宣言されるのです。いつの日か来るべきその時にこの「滅びへの隷属から解放されて」「栄光に輝く自由にあずかる(21節)」との「希望」を持っていることによって、今困難にあろうとも、この時を「忍耐(25節)」し、この道を歩み続けることが出来ると語っていくのです。
このパウロの励ましを私たちもまた、現代の困難を生きる者として受けながら、どの様な時にも「希望」を携えて、「勇気をもって」、この証しする歩みを進めて参りたいと思います。
(説教要旨/髙塚記)