<説教要旨>

「悔い改めの布告」(8/1)

「ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者も低い者も身に粗布をまとった」

(ヨナ書3章5節)

 旧約聖書のヨナ書は、「12小預言書」の中に分類される比較的短い文書です。他の預言書と違い、預言者の言葉を記したものではなく、一人の預言者を主人公にした文学作品です。「ヨナ書は簡潔だが、的確に書かれ文学的にも優れた作品である」(関根正雄)と評価されるように、教会学校や幼稚園の聖話にもよく用いられます。
 ヨナ書の舞台は紀元前8世紀ごろ。「主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ」(1章1節)とヨナの紹介と活動が開始されたことが冒頭で告げられます。しかし、ヨナ書が書かれたのは紀元前4世紀ごろ。「バビロン捕囚」(紀元前587~539年)から解放されたイスラエルの民は、その一部は祖国に帰還します。エルサレム神殿の再建を志し、同時に律法による民族の再建を行います。エズラ記・ネヘミヤ記はその時代を描いています。
 他方、厳しい捕囚経験は、様々な文化、宗教、思想と出会わせ、異邦の世界に生きる人々を生み出していきます。捕囚からの解放令がだされても、ユダヤの国に帰還せずに国際社会の中で生きることを志し、世界各地に散って移住する人々(ディアスポラ=離散した民)がいました。彼らは国際的な視点をもって神の御旨を理解しようとした人々であったようです。ヨナ書はこの後者の人々の特徴を備えた預言書です。
 物語の展開のように、ヨナはアッシリアの都ニネベに審判の言葉を伝えるように神に命じられます。しかし、彼は神の前からタルシュシュ行の船に乗り逃亡します。しかし、大風に遭遇し海に投げ込まれ、大きな魚に食べられ三日三晩、魚の腹の中で懺悔し、魚は彼を吐き出します。ついに、ヨナはニネベに行き神の審判を預言することになります。
 ヨナは「あと40日すれば、ニネべは滅びる」と悔い改めの布告を行います。しかし、ヨナの意に反してニネべの人々は神を信じて悔い改めて断食をします。王は「粗布をまとって」「灰の上に座した」とあるように、最上級の悔い改めの表現を示します。人々へ布告された言葉である「おのおの悪の道を離れ」(8節)とは、「向きを変えて戻れ」との意味で、本来あるべきところに立ち返ることを示します。その人々の姿をみた神は「思い直され、宣告した災いをくだすのをやめられた」(10節)とあるように、み心を変えられたことが分かります。
 「神はみ心を変えてしまうのか」との問いも生じかねない3章の結末ですが、これこそが神の救いの御業の不変性を示すものです。価無き者がなお救われるというイエスの十字架の出来事に通じる神の大きな憐みを読み取ることができます。

(説教要旨/菅根記)