<6月説教要旨>

「残りの民」(6/28)

「私は足の萎えた者を集め…残りの者と…する」

(ミカ書4章6~7節『聖書協会共同訳』)

 教会暦により旧約・ミカ書を学びます。ミカ書1章1節には彼の時代の王が記されています(ヨタム、アハズ、ヒゼキヤ)。この王名表から、彼の活動年代がメソポタミアの大国アッシリアの全盛期であったことが読み取れます。アッシリアは北イスラエル王国を滅ぼし(前722)、版図をエジプトまで拡げました。ミカが暮らす小国・南ユダ王国はアッシリアの属国となり、当時の王アハズは従属のしるしとしてアッシリアの国家宗教(天体礼拝)をエルサレム神殿に受け入れざるを得ませんでした(列王記下16:7-18)。純朴に聖書の宗教を信ずる人たちの心が傷つき、すさんだであろうことが想像されます。困難の中に残され、限界状況にありました。
 ミカの故郷はモレシェト(ミカ書1:1)ともモレシェト・ガド(1:14)とも書かれています。モレシェトはユダの街ですが、敵対するペリシテ人の街ガドと隣接していたからでしょう、少なからず蔑んだ響きが含まれているように思えます。ミカ書7章1節「悲しいかな…もはや、食べられるぶどうの実はなく…初なりのいちじくもない」からは、かなり疲弊した村の生活が窺えます。これがミカの日常でした。彼は地方の有力者で、権力者に近い位置にありましたが、支配者の圧政に苦しむ民衆の思いを感知できる人でした。
 ミカ書4章1~3節はイザヤ書2章2~4節に同じくだりが見られます。誰か特定の人の創作ということではなく、前8世紀の人から愛されたフレーズであったのだと思われます。その主要部は今日、国連本部前庭にある彫像に刻まれて、時代を超えた人類共有の祈りとなっています。
 この段落は「終わりの日に」に導入され、終末論的な性格を備え、神が責務を負う、新たな世代開始の宣言と、そこにおける生き方を語っている申せます。そして「主の神殿の山」(ミカ4:1)すなわちエルサレムが世界の中心として「堅く立ち…そびえる」と告げます。ある種の覇権主義的な言葉ともとれます。イザヤはこの言葉を引用し、神がイスラエル(ヤコブの家)を「捨てた」(イザヤ書2:6)と裁きを綴りました。一方ミカは、神が足の萎えた者を集め「残りの民」(シェアル)とすると、救いの言葉を伝えます(4:6~7)。シェアルはもともと古代オリエント社会で戦争や災害の生き残りを指しました。無力の象徴でした。聖書の民の場合、神に選ばれたはずの者が苦難を受けるという矛盾に、いっそう苦しまねばなりませんでした。ミカはこの言い回しをもって、残され、活かされている意味を積極的に受け止め、信仰の応答を考え抜くよう、読者を促します。

(説教要旨/飯記)


「キリストの内にとどまる」(6/21)

「さて、子たちよ、御子の内にいつもとどまりなさい。」

(ヨハネの手紙一2章28節)

  本日の聖書箇所、ヨハネの手紙一2章18節からのところでは、小見出しに「反キリスト」と題されております。この「反キリスト」とは、ギリシア語で「アンチ・クリストゥス」と記されている言葉で、「イエスがメシアであることを否定する者(22節)」、「惑わせようとする者(26節)」と記されています。当時このヨハネの手紙一をはじめとした「ヨハネ文書」と呼ばれる書簡を読んでいた共同体の中で、そこから離反していく者たちがいたといわれております。その者たちは異端的な思想、「イエスがメシアであることを否定」したり、「御父と御子を認めな(22節)」かったりする思想を持っていたといわれております。その者たちが語る教えによって心が惑わされ、共同体から離れていくようなことがないようにここで警告がなされております。
 この異端的な思想を持った者とは「グノーシス思想家」であったといわれております。「グノーシス思想家」はキリストが全くの人として、この地上で受肉したということを否定する教えを持った人々です。このような「グノーシス思想家」の考えは、イエスの死から、贖罪と救済の意義を取り去ってしまうものであります。
 このような思想に対して、このヨハネの手紙の著者は、「御子イエスの血によってあらゆる罪から清められ(1章7節)」る、イエス・キリスト「こそ、わたしたちの罪、全世界の罪を償ういけにえ(2章2節)」であると語り、「グノーシス思想家」を「反キリスト」として否定するのです。また「御子を認めない者はだれも御父に結ばれていません。御子を公に言い表すものは御父に結ばれています。(23節)」と語り、人であり神であるイエスを認め、信じることによって神と結ばれて、わたしたちと神、そしてイエスは共にいてくださるということがここで示されていくのです。そして繰り返し語られるのは「御子の内にいつもとどまりなさい(28節)」との言葉です。また、24節には「初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう」と語られ、イエスの生涯と教えによって示された愛と赦しの福音を心にとめ、信じていくことによって、私たちがいつもイエスと神によって包まれ、守られ、支えられていくことが示されます。
 私たちは自分自身の芯となる拠り所を持たなければふらつき、迷ってしまう弱さを持つ存在であります。そのような私たちですが、私たちが「知る」前から、「初めから」与えられているその赦しと愛という福音を拠り所として、キリスト内にとどまり、日々の歩みを進めてまいりたいと思います。

 (説教要旨/髙塚記)

「新しい命に生きる」(6/14)

「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることができない。」

(ヨハネ福音書3章3節)

 5月末に「ペンテコステ」(聖霊降臨日)を迎え、教会暦は「イエスの半年」(アドベント~イースター)から「教会の半年」と言われる季節となりました。聖霊を注がれた使徒たちがキリストを証しするために全世界に向けて宣教を開始していきます。この時期、聖霊を注がれた使徒たちの姿を学んでいくように聖書日課では定められています。
 本日の聖書個所は「イエスとニコデモの出会いの物語」です。ニコデモは「ニカ―・デモス」のギリシア語名です。「民の勝利」という大変素晴らしい意味をもった名前です。ファリサイ派に属する指導者、ここではユダヤの議会である「サンヘドリン」の議員であったと紹介されています。ローマ帝国の支配下でイスラエルの復興を待ち望む敬虔な人でした。しかも、彼はイエスの教えと行動に対して親近感を抱いたがゆえに夜の来訪を試みたのだと思います。そして、「ラビ、私どもはあなたが神のもとから来られた教師であることを知っています」(2節)と告白しています。その後も、イエスを弁護する発言(7章51節)、イエスの埋葬(19章39~40節)に立ち会っています。ニコデモは信仰的良心を持つ人であったのでしょう。
 この敬虔な人に対して、イエスは上記の言葉のように、新しく生まれ変わって生きることを勧めます。「神の国を見る」とはヨハネ福音書で言えば「永遠の命」に与ることです。「神との関係で新しくされる命」(カール・バルト)に生きることです。しかし、このイエスの指摘は厳しさをもっています。ニコデモの立場からすれば、それはユダヤ教ファリサイ派の指導者としての立場、サンヘドリンの議員の立場を一度捨て去ることになるからです。
 「新しい(アノーゼン)」とは「再び」「上から」との意味を持ちます。時間的には「初めから」との意味が加わります。イエスの言葉をニコデモは前者の「再び」「初めから」と理解します。しかし、イエスは後者の「上から」との意味で語りかけているのです。すなわち、聖霊の力によってとの意味です。「風は思いのままに吹く」(8節)とあるように、神の自由な命の息吹を受けて日々新しく生きることを奨めるのです。
 イエスは、この世を愛される神の慈しみ、常に共にいますイエスの執り成しを、聖霊によって実感し人生の新しい地平を切り開いていくことを奨めています。自分の力のみに頼り、地上の人間的な力関係に翻弄されずに、朽ちることのない命に支えられて生きることの大切さを語ります。コロナ禍の中で、グローバル化と経済成長路線の脆弱さを知った私たち、社会の仕組み、生活の在り様が根本的に問われている私たちです。イエスの示す本当の命に生きたいと思います。

(説教要旨/菅根記)


「真の命を得るために」(6/7)

「真の命を得るために、未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くようにと。」

(テモテ第一6章19節)

  テモテへ宛てた第一・第二の手紙は「テトスへの手紙」とともに「牧会書簡」と呼ばれています。真正なパウロの手紙とは区別されます。パウロの名前を借りて書き記された手紙です。用語や文体のほか、神学的発想がパウロと異なること、パウロ後のかなり発達した教会制度を反映していることなどが区別される理由です。著者が誰であるか分かりませんが、おそらくパウロの伝道とその精神を受け継ぐ人たちであったと考えられます。この手紙が書か れた年代は紀元1世紀末か2世紀初めてと言われています。
 宛先とされるテモテは、「神を畏れ敬う者」の意味をもつ名前ですが、パウロの「協力者」、小アジアのリストラの出身で「信者のユダヤ婦人の子で、ギリシア人を父親に持つ」(使徒言行録16章1節)と伝えられています。彼は「評判の良い人」で、テモテの「純真な信仰」は、まず「祖母ロイスと母エウニケ」に宿り彼に伝えられたと記されています(テモテ第二1章5節)。パウロもテモテを「わたしの愛する子」(コリント第一4章17節)と呼んで大きな信頼を寄せていたようです。他の手紙ではテモテが獄中にいたパウロの側にいて、諸教会に心を配っていた様子(フィリピ2章20節)が伺えます。著者はこのテモテとパウロの関係を含めて宛先人とし想定し、この手紙を書いています。
 これらの「牧会書簡」が書かれた目的は、「異なる教え」(1章3節)「作り話や切りのない系図」(1章4節)「悪霊どもの教え」(4章1節)などを退け、相応しい福音に立ち戻ることを促すためです。おそらく、初期グノーシス主義の影響を受けた教会の立て直しをはかり、「健全な教え」(1章10節)「健全な言葉」(6章3節)によって「信心」「品格」(2章2節)をもって信仰を再生させていくことを促しています。
 本日の聖書個所6章11節以降は、テモテに対する個人的勧告の形をとっての勧めと頌栄が語られています。「信仰の戦い」(12節)との表現のように、信仰生活が永遠の生命を目指す戦いとして語られています。17節以降では、再度「この世の富」の問題が論じられ、なお、神に望みをおき、「真の命を得るために」(19節)と、生きていく主題を明示します。
 この手紙の著者は、成長過程にある教会で生じる現実的な諸課題と一つ一つ折衝しながら教会の形を整えていこうとします。その思いは「未来に備えて自分のために堅固な基礎を築くように」(19節)との言葉からも分かります。そして、「福音」と「社会的活動・日常的生活」とが統合していけるような倫理が示されます。私たちも福音と日常倫理を切り離すことなく成熟した信仰を求めていきたいと思います。

(説教要旨/菅根記)