<説教要旨>

「命の言葉を保って」(6/13)

「わたしは喜びます。あなたがた一同と共に喜びます」

(フィリピ書2章17節)

 「可愛い子には旅をさせろ」と言う諺があります。頼る者もなく、見知らぬ土地で生きる経験こそが、一人前になっていくことであることを示す言葉です。あるいは、「親元を離れて苦労をなめなければ鍛えられるものではない」との子どもの自立を促す先人たちの処世訓であります。
 さて、キリスト教信仰は、神の前で「自立する」こと、「主体的に生きる」こと、「人間として成熟していく」ことを強く促します。使徒パウロは、フィリピの信徒への手紙の中で、キリスト者として一人立って、日常生活を相応しく歩んでいくための勧告をしています。すなわち、「キリストを模範」として生きることを勧めています。今日の聖書個所2章12節以降はその勧告の最後の部分に当たります。
 この手紙の宛先であるフィリピの教会は、パウロの第2次伝道旅行の時にヨーロッパにおける最初の教会として設立します。この町はギリシア北部の東マケドニア地方に位置する有力な都市の一つでした。この地には金鉱もあり、土地も肥沃で古代より経済的に繁栄していた町でした。ローマ時代には「退役軍人の町」としてローマの直轄植民地となります。
 このフィリピの信徒への手紙は、パウロが第3次伝道旅行中に、エフェソで投獄された際に書かれたと言われています。それ故、別名「獄中書簡」とも言われています。また、パウロが獄中にありながら「喜び」という言葉が頻繁に出てくるために「喜びの手紙」とも言われています。
 本日の聖書個所には「礼拝を行う際に、たとえわたしの血が注がれるとしても」(17節)という記述があります。ここでは投獄逮捕されているパウロの心境・覚悟が秘められています。しかし、それでもなお「わたしは喜びます」など「喜ぶ」という言葉が続けて4回ほどでてきます。また、キリストへの「従順」(12節)の勧めを読む時、信仰というものは、ある継続した営みが一つの地平を切り開くものだと言うことに気づかされます。「継続の力」「体得していくような力」によって、信仰的自立がなされることを教えられます。さらに、パウロはキリスト・イエスによる「喜び」「従順」こそが「命の言葉」を保っていくと語ります。
 「命の言葉」とは、イエスの語った言葉、生きた姿、十字架の死と贖いと復活の出来事をもって示された福音そのものです。パウロは「よこしまな曲がった時代」(15節)の中にあっても、「命の言葉」を保つことによって、キリスト者が「星のように輝く」と励ましの言葉を語りかけます。小さなことに用いられ、存在を輝かせて生きることが許されている、その「喜び」を抱いて歩む人生を全うしたいと思います。

(説教要旨/菅根記)