<説教要旨>

「霊の導きに従って」(5/23)

「霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制です。」

(ガラテヤ書5章22~23節)

 23日は「ペンテコステ」「聖霊降臨日」の主日です。教会にとっては「イースター」・「クリスマス」と合わせて三大主日の一つと言われています。教会暦は、今日から「聖霊降臨節」あるいは「三位一体主日」と呼ぶようになり、クリスマスの降誕前まで続きます。この「ペンテコステ」という言葉は、「50日目」「第50番目」を意味する用語です。元々はイスラエルの三大祭の一つ「五旬節の祭」(「春の小麦の収穫祭」)を指すものでした。初代キリスト教会は、キリスト・イエスの復活から50日目に、神の命の息吹である「聖霊」が降った日として記念するようになります。
 「聖霊」(プニューマ)はキリスト・イエスを通して働く「神の力」であり、「心」「気」「神の息」あるいは「風」というような言葉にも訳されています。ヨハネ福音書では「聖霊」を「パラクレートス」(「弁護者」「助け主」「慰め主」)と表現しています。いずれも「働き」・「関わり」としての力や促しとして受けとめられています。具体的には「信仰を与える」、「神の業を想起させる」、「和解と執り成しを与える」、「愛する自由を与える」働きなどとして表れます。
 さて、「信仰と自由の手紙」と言われているガラテヤ書は、使徒パウロによって紀元54~55年頃エフェソ滞在(あるいはマケドニア)の折に執筆された手紙と言われています。パウロの福音理解と使徒職の正当性を明らかにし、さらに、信仰と律法を二者択一の形で捉え、独自の信仰義認論を展開しています。5章16節以降には、キリスト・イエスによる解放と自由を神の召しによって与えらえたものとして受けとめ、そして、ガラテヤの教会の人々に「霊の導きに従って歩みなさい」と勧告をします。
 パウロは人間の在り方を「肉的」なものと、「霊的」なものと2つに分けて対比します。「肉」(サルクス)はあるべき姿を失った存在、神との関係が断絶してしまっている人間の状態を指しています。他方、「霊」は神との関係の回復によって、神との交わりに戻された状態をいいます。ここで、パウロは自己点検する手がかりのように、「肉の業(悪徳表)」(19~21節)と「霊の結ぶ実(徳目表)」(22~23節)を示します。いずれにせよ、この基準表は信仰や倫理の度合いを判定するものではなく、自分自身の在り方を問い直すときの指標です。特に、後者の「霊の結ぶ実」は、霊の賜物として与えられるもので、聖霊の確かな働きを覚えて感謝へと促されていく指標です。「うぬぼれて互いに挑み、妬む」ガラテヤ教会の人々に、自らが寄り立つ場がどこであるのか、本当に「自由」であることの喜びを獲得できるように促しているのです。私たちも聖霊の導きの内に歩んでいきたいと存じます。

(説教要旨/菅根記)