<説教要旨>

「心に深く刻まれる恵み」(4/18)

「よこしまで神に背いた時代の者たちは、しるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしの他には、しるしは与えられない」

(マタイ福音書12章39節)

 明日4月19日(月)は神戸教会の創立147年の記念日です。私たちの教会は1874年(明治7年)イースター礼拝にてアメリカン・ボードから派遣されたD・C・グリーン宣教師から洗礼を授けられた11名の信徒によって摂津第一公会として設立しました。西日本では最初のプロテスタント教会として誕生します。この日の創立礼拝でデーヴィス宣教師は教会員への奨めをして「この日から愛が新しい意味を持った」と片言の日本語で語ったと記されています。「長い間育まれてきた神と他者への愛が結実し、愛の交わりの場」として教会が誕生したことを伝えています。主イエスを通して示された神の御心は教会員の目に見えない関係性の中でこそ結実することが示されました。
 さて、本日の聖書個所は「人々がしるしを欲しがる物語」です。何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに対して、「天からのしるし」を求めてきたという描写で今日の物語が始まります。彼らは真剣にイエスが神の子であることの保証、明瞭なしるしを求めます。それは、イエスのメシア性についての「公開調査」のような性格を帯びています。
 使徒パウロが「ユダヤ人はしるしを求め、ギリシア人は知恵をさがします」(コリント第一1章22節)と語ったように、彼らはイエスに対して「天からのしるし」を求め願います。「しるし」(セ―メイオン)とは、自らが神から遣わされた救済者・預言者であることを承認させ、信仰を持たせるための自己証明をするために敢えてなす行為であると言われています。しかし、イエスは敢えて「しるし」を示すことを控えます。イエスは神の真理を保証するしるしなどは地上には存在しないとのニュアンスをもって「ヨナのしるし」以外にはないこと訴えます。
 「ヨナのしるし」とは、「ヨナが三日三晩大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩大地の中にいることになる」(40節)との言葉のようにイエスの予型となっています。ヨナ書で、神がニネベの人々に語られたように、今イエスにおいて神が特別に語られるということ以外に地上にいかなるしるしはないと強調するのです。そして、ヨナの言葉によってニネベの人々が断食し悔い改めたこと、あるいは、ソロモンの知恵を聞いたシェバの女王が遠路をよりエルサレムを訪ねたことは、神への信頼に委ねた行為であったことを指摘します。それはしるしのみを求める人々への痛烈な批判です。
 客観的なしるしとしての保証を求める者に対して、イエスは神の恵みは人の心に深く刻まれていくことを伝えています。神と人、人と人との人格的な関係性の中でこそ現実化するようです。その心の奥底に深く刻まれる主の恵みに応えていきたいと思います。

(説教要旨/菅根記)