<説教要旨>
「イエスへの信頼」(2/20)
「イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に『子よ、あなたの罪は赦される』と言われた」
(マルコ福音書2章5節)
「愛の反対は憎しみではなく、無関心です」。この言葉はマザー・テレサの言葉として有名なものです。他者との関係性の中で、相手に対して関心を持たなければ、繋がりが出来る事はなく、愛も憎しみも生まれ得ないのです。愛というのは一方向から与えられるだけでは育まれることはありません。愛とは双方向性を持った時に育まれ、拡がっていくのです。
本日の聖書の個所であるマルコ福音書2章1節からで語られていく「中風の人をいやす」イエスの姿を記した「治癒奇跡」の物語もまた、この「愛の双方向性」を示していくものの一つであります。ここで登場する主な登場人物としてイエスの他に「中風の人」とその人を運んできた「四人の男の人(3節)」が記されていきます。2節にはイエスの話を聞くために大勢の人がイエスがいる家に集まり、人が通る隙間もないほどであったことが報告されます。そこに中風の人を癒してもらうために四人の男の人たちは床にのせて連れてくるのですが、人々に阻まれてしまうのです(4節)。ここでこの人たちは諦めるのではなく屋根に上りそれをはがし、イエスのもとに中風の人を吊り降ろす(4節)という驚きの行動に出るのです。
教えを聞くために人々が集まるその建物の屋根をはがして無理矢理に病人をイエスのもとまで連れていくこの四人の男の行動は当時においても、また現代で考えても「非常識」ととられても仕方のないものです。しかし、この行動をみてイエスはそこに「信仰(5節)」を見るのです。この「信仰」、別訳では「信頼」とも訳せる言葉です。「イエスならば必ずこの中風の人を癒してくれる」「前に連れて行けさえすればこの人は救われる」というイエスへの「信頼」をもって突破困難な状況を、しかし越えていくのです。
中風の人を助けたいという思い、イエスへの信頼。このイエスが「信」であると評した四人の男の人たちの「愛」が「治癒の奇跡」を、神の業をここで起こしていくのです。福音書において「治癒の奇跡」が行われていくとき、それはイエスからの一方的な働きかけのみで行われるものではありません。そこには必ず人々のイエスへの求め、信頼があらわされ、それにイエスが応え手を差し伸べてくださるのです。この双方向性を持った「愛の関係」によってそこに「神の国」、「神の支配」がおよび、神の力が働いていくのです。そして救い主たるイエスを通して福音が実現されていくのです。
私たちは日々多くの恵みを受け、その中で生かされていきます。この生かされる命において、私たちはイエスへの信頼をもって、すべてを委ねて、日々の必要を願いつつ歩み進めるのです。
(説教要旨/髙塚記)