<説教要旨>

「心を新たにして」(1/2)

「あなたがたはこの世に倣ってはいけません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、・・・」

(ローマ書12章2節)

 主の年2022年を迎えました。新型コロナウイルス感染拡大の収束が未だに見えない厳しい状況が続いていくことになりますが、今年も聖書の言葉から主のみ旨を問いつつ、互いに励まされて歩んでいきたいと存じます。
 本日選びました聖書の個所は、ローマの信徒への手紙12章の冒頭の言葉です。この手紙は、使徒パウロが執筆した7つの手紙の中でも最後の手紙とされています。パウロの伝道者としての神学や思想の集大成とも言うべき内容を含んでいます。彼は未だ見ぬローマでの宣教活動を願いながら、自己紹介かねて、自らの培ってきた福音理解を表明することになります。
 パウロは、ファリサイ派として追い求めてきた「律法による義」から解放され、ただキリスト・イエスを信じることによって救いに至る「神の義」について、1~11章の前半部分で詳細に説明します。特に、「信仰義認の教理」と「契約に示される神の義」を示します。さらに、本日の12章からは、神の恵みとして「信仰によって義」とされたキリスト者がどのように、神の恵みに応えて生きるべきかを勧める「キリスト者の倫理」を語り始めていきます。
 冒頭の「こういうわけで」(1節)との接続詞は、それまで語ってきた彼の福音理解を全面的に受けとめて、実践的な日常生活上の勧告がなされていくとの内容構成を示しています。パウロにとって「福音」と「生活」(倫理)は別々のものではなく表裏一体の関係であることが示されます。
 そして、「神の憐み」による勧めの第一のものは「なすべき礼拝」に関するものです。即ち「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえ」としてささげる「献身」の勧めです。パウロはローマの教会の全ての人々に対して、神の招きと神の恵みに誠実に応答する生き方を促します。しかも、私たちの生活全体で、それぞれの「人格と存在」(からだ)をかけて生きることを勧めます。その応答こそが「なすべき礼拝」(ロギコス・ラトレイア/相応しい、理にかなった礼拝の意味)であることを伝えています。
 私たちの周りには、神の御心を受けとめていくことを疎外するこの世の価値観や通念が横たわっています。そのために、この世の図式に組み込まれてしまう誘惑に陥ることが多々あります。また、信仰的な迷い、応答的生活を躊躇してしまう厳しい現実、自己中心的な在り方などによって、神の御心とかけ離れた決断をしてしまいます。そのためにも、常に心を新たに造り変えられていくことが必要です。み言葉によって新たにされる礼拝の時を本年も大事に守っていきたいと思います。

(説教要旨/菅根記)